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日本が観た幻想 


2007.06.17
Sun
22:58

こんばんは、のなすらですよ。

金曜ロードショウで『天空の城 ラピュタ』が放映されたわけですが、
気になる記事があったので書いてみます。

ラピュタのエンディングは?(TBN)

TBNさんは毎日見ている所なんですが、ラピュタのエンディングには続きがある?
ということで、いくつか証言を書いてますね。

・ゴンドアで握手をして別れる
・ゴンドアで手を振って別れる(パズーは凧?)
・ゴンドアにパズーが会いに行く
・ゴンドアで村人たちが大歓迎(セリフはない)
・草原で牛(ヤク?)と戯れるシーンがある
・シータがヤクを放牧中に、パズーが会いに来る
・シータの家の暖炉に、飛行石を再び隠すようなシーンがある



言われてみると、そんなシーンを観たような気がしないでもないのが不思議なところ。
でも実際には存在しない、とジブリが公式見解を出してるそうで。

たとえば、誰か一人が言い出したら、「それは嘘じゃね?」、「いや、ねーよ」と
否定もできるんですが、どうもラピュタを知っている人は、高確率で上記シーン
を観た(あるいは観た気がする)と、頷いている。

集合的無意識、という言葉があります。日本人が大好きなカール・グスタフ・ユングの
提唱した、分析心理学の概念です。

集合的無意識とは、無意識レベルの概念を共有すること、になります。
簡単に言うと、みそ汁。
日本の朝の光景として、まな板をリズミカルに叩く音、母親の後ろ姿、朝食のみそ汁。
これが日本人が共有している『朝の光景』の概念です。
なんとなく、上記シーンを思い浮かべると、ほっとするというか、「ああ、朝食らしい朝食だ」
と思いませんか? 実際の朝食がパン党の人でも、このシーンを容易に思い浮かべる
ことができると思います。

さて、ラピュタの話に戻りましょう。
公式に存在しないと言われた幻のエンディングは、集合的無意識によって導かれた
概念ではないかと、のなすらは思いました。

宮崎駿監督は、ラピュタを企画する段階で、『王道』を作ると決めていたようです。

~ちと脱線します。マンドクセ('A`)という方は読み飛ばし推奨~

物語が発生するもっとも単純なパターンというのがありまして。
それは、「いないいないばあ(ピーカブー)」です。
(※大塚英志の『物語の体操』を参考)

赤ん坊に言葉を理解させることは、非常に困難です。しかし、動作でなら
何をしているのか、ということを伝えることができます。
(※ハンドサインで意思の疎通を図ることは可能。これは知能の高いチンパンジーや
ゴリラにも適用できる万能語です)
『ピーカブー』は顔を手で隠す(あるいは実際に視界から消える)ことによって、
『赤ん坊が注目している物体を消す』という動作になります。それにより、赤ん坊に
サスペンスを与える。不安と緊張です。
そこで、『ばぁ』と顔を出現させる。広がる安堵感=カタルシスを覚えた赤ん坊は、
きゃっきゃっ、と笑うことでしょう。
非常に短い物語ですが、確かに赤ん坊は物語のライブを観ているんですね。

この揺り動かし、が物語のもっとも根元的な要素です。さらに物語性を付加し、
骨子となるものを作ると、『行って戻る』というパターンになります。

まず、『行く』ということが必要になります。そのために動機がいる。
だから主人公に何かを欠けさせる。
「喉渇いたなぁ。コンビニ行くか」――喉が渇いた(充足していない)から、出かける。
あとは『コンビニ珍道中』みたいな感じで、イベントをつぎ込んでいけばいい。
(起承転結を考えると、ターニングポイントがいくつか必要になります)

~脱線ここまで(だといいなぁ)~


宮崎監督が作ろうとした『王道』の物語は、
ボーイミーツガールであり、
冒険であり、
メカであり、
伝説である。

部分抽出をすると、ジュブナイルの基本ともいうべき素材です。
(15少年漂流記とか、そんなのがあります)
少年パズーと少女シータが出会い、物語は動き出す。
少女は秘密を抱えていて、少年は少女を守るナイトになる。
しかし、敵は強大である。
少年は頼もしい仲間を得て、知能と身体を使って、少女を助ける物語。
(未来少年コナンが、ラピュタの原型だと思います。あれ、メカも出るし)

ここで集合的無意識のことを思い出してもらいましょう。
集合的無意識は、共有する概念です。
これは先天的なものというより後天的に獲得できることが多いです。
(日本人の朝の光景は、生まれる前から知っているわけではない)

よって、ジュブナイル文学(それに類似される少年漫画など)の洗礼を受けた人たちには、
共有できる概念が存在するわけです。

宮崎監督は、「天空の城 ラピュタ」を丁寧に丁寧に作り上げました。
だからこそ、多くの人=老若男女が共感できる物語となりました。

ということはですよ?
主人公格のパズーとシータについて、多くの人が同じ感想を持っているわけですよ。
パズーならこうする、シータならこうする、ということを多くの人が把握している。

だからこそエンディングで、

パズーはシータの故郷へ行き、

シータは嬉しそうにパズーを案内する、


という幻想が(容易に)浮かぶわけです。
劇中では、パズーが飛行機を作っていました。あれを伏線と見れば、
パズーは完成させた自作飛行機で飛び立つはずだ、となるわけです。

長々と書いてきましたが、「天空の城 ラピュタ」は非常に完成された作品です。
ムスカが面白くて仕方がないということを含めて、完成された作品です。

一つだけ懸念があるとすれば、TBNさんで推測している通り、
本当にエンディングシーンで描かれた物語の続きがあった場合。
のなすらが書いたことは意味がなくなるわけですが(w、
むしろそっちの方がいいかもしれません。

観たような観てないような……ううん、気になるw
最後は、みんな大好きムスカ大佐の言葉で締めましょう。


ムスカ「ラピュタは滅びんよ。何度でも甦るさ」

category: 雑記

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