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ピコーンと閃いた 


2007.11.04
Sun
22:02

え、いまさら? というようなことを。

こんばんは、のなすらです。
ボケーッとしているときってのは、副交感神経優位になっているときだったりして、
全体的に弛緩しています。
このとき思考(主に理性)も弛緩するため、意外に飛躍的なことを考えたり。

で、何を閃いたんじゃお前は? というと。
ネバーエンディングストーリーとシミュレーションゲームの類似性です。
ここで冒頭の言葉がオーバラップするわけですが、(∩゚д゚)アーアーキコエナーイ

ネバーエンディングストーリーは、まぁ映画のあれと思ってくだちい。
シミュレーションゲームは、RPGでも戦争ものでも可。
んで、類似性ってのは、いわゆるインタラクティブ・フィクションってことです。

シミュレーションゲームは、なんちゅーか、正史を追っかけるものとifを
体験するものがあったりして、これってよく考えたら『歴史書を読んでる』感覚だよなぁ、と。
一方、ネバーエンディングストーリーは、本の中の物語を追っていくのがメインであり、
読者である主人公が視聴者の代理人。
ただ、読者の意思が反映されることによって、物語が突然インタラクティブになる。

何が言いたいのかっていうと、FFTAシリーズは
ネバーエンディングストーリーをやってたってことなんですがね。
導入部の丁寧さは、GBA版のTAの方が丁寧。
最初は主人公が物語の外にいて、それから本の中に入ってしまう。
すると、本来主人公が負うべき役割をプレイヤーが負うことになるわけです。
ここで、主人公とプレイヤーの乖離が起きる。
主人公はプレイヤーが望む形に狂言回しを行い、物語を動かしていく。

最終的に本の世界から戻ってくることで、主人公とプレイヤーは再び同化し、
『物語の主役』と『自分の人生の主役』という役割を経験し、
閉じた世界が広がっていく、という構造になっているんじゃね? と。

なんちゅーか、劇場版のエヴァンゲリオンは恫喝にも似た
「アニメなんか見てねーで、さっさと表出ろ!」というメッセージが込められていたけど、
ネバーエンディングストーリー的なものは、やんわりと
「物語の世界は狭い。もっと広い世界が待ってるんだぜ」と奨励しているような。

なるほど、寺山修司か、と一人頷いてみたりするわけですよ。
「若者よ、書を捨て街に出よ」と。
(でもこれをいっちゃったら、FFTAもネバーエンディングストーリーも始まらないw)

これから寒くなる時期、大イベントが目白押しだったりするわけですが、
のなすらは残念ながら引きこもりそうです。
いまだって、毛布被ってパソコンの前に座ってるんだもん。
サブノート引っ張り出してコタツムリになるのも、悪くないです。
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